哲学な冬の取り留めのない話
自分にとって、その時ものすごく良いことだと思っていることや、その時ものすごく悪いことだと思うこと。
そういう色んなことが日々あるけれど「その時」が過ぎていけば、全部大したことじゃなくなっていて、それなりに生きて、今、笑えて、感謝している。
これって、やっぱり生命は前向きなエネルギーが根本に在るって証拠だと思うんです。日々の出来事に一喜一憂してしまいがちだけど、笑えるのも泣けるのも生きてるから体験できること!
だからきっと、生きることを辞めなければ、その時の間違いは、その後に必ず間違いじゃなくなって、その出来事も大したことでもなくなって「今」それなりに笑って幸せだと感じれるんだと思うのです。例え、どんな選択をしても、どんなことが起こっても結果的に大丈夫になっていく、そういうものなんじゃないかしら。
だから、後悔は不要。
失敗を恐れる必要がないし、恥をかくことも大したことじゃない。だって、私の小さな頭では考えつかないようなことが、この宇宙ではずっと昔から起こり巡っているんです。私達の根本、生命の起源について、この宇宙を産んだのは誰なのか?と問えば、科学者だって最終的には「答えは神様しか知り得ない領域だ」と言うはずなんです。
この取り留めのない話をまとめると、私の知っている範囲で、物事を理解をしようとすること自体が無知なことなんじゃない?だから「分からない!できないかも!どうしよう〜」をもただ楽しんで、生きて、やりたいことに向かってただ進んでいけば良いんじゃないかしら!というお話でした。
まとまってるのかな???
芸術の冬に加えて、哲学な冬でございます。
スカートが風で膨らんでおります。風立ちぬ、いざ生きめやも。
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